小谷のブログ

私が日本代表になるまで#3 負けると悔しいこと。そうでないこと。

2021年1月26日

前回の続きです。

私が日本代表になるまで#2 最初の大会へ

前回の記事の続きです。 スポーツ劣等生だった中学・高校時代を経て、「大学でこそはスポーツで活躍したい」と思っていた私は、まだマシであった長距離走ができるジョギングサークルに入りました。 「ジョギングサ ...

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私にとって最初の大会だったのが2007年のいたばしリバーサイドハーフマラソン。

このときに思ったのが
「大会って練習よりずっと速く走れるじゃん!」
ということ。

これは最初の1kmのラップをみて驚きました。

それまでは先輩ランナーから「練習では走れないペースでも(ある程度までのペースアップなら)大会なら走れるよ。後は気合だけ!」というようなアドバイスをもらっていました。

例えば30km走の練習を5:00/kmで限界ギリギリで走れたというのに、そのペースでフルマラソンを走るなんて無理そうだと当時は考えていました。

でも今なら「練習でこれくらい走れたら、本番ならもっと速いこれくらいのタイムで行ける」ということがわかるようになりました。

個人的にはこの「本番の方が走れる」の程度はウルトラマラソンの方がより顕著に感じます。
練習では60~70km走ると集中力の波がある(飽きる)ことが多いですが、レースなら100kmでも飽きずに走ることができます。
(そして、集中力が切れてくると体も重くなってくる)

このレースでのアドレナリン効果で16kmくらいまでは想定より少し速いペースでも余裕をもって走ることができました。

しかし、17km地点で一気に脚が重くなり、それまでは「○○kmの通過が××分」と考えていたのが「ゴールまで残り○○km。あと××分くらい耐えないといけない・・・」とカウントダウン型のマイナス思考に。

一緒に参加した友人とレース後に「疲れって"ジワジワ"ではなく"一気に"来るよね」と共感しあっていました。

キツいラストの3-4kmを耐え抜いてなんとかゴールしたタイムが1:28:45。

同級生のGO(前回の記事に登場)は1時間24分台だったので、「やっぱり陸上経験者は速いなぁ」と実力の違いを感じたのでした。


大会後の最初のサークルにいくと「大会お疲れ様~。90分切りおめでとう」と声をかけられてちょっぴり良い気分に。
やっぱり頑張りを認めてもらえると嬉しいですね。

次いでサークルの集合場所に同級生のY江(前回の記事に登場)がやってきました。
私と同日に別のハーフマラソンに出ていた彼も「大会どうだった~?」と会話が盛り上がっています。

そして、このときに衝撃的な事実が発覚したのですが、Y江がなんと84分台で走っていて、更に陸上部出身のGOよりタイムが良かったのです。

彼は普段の練習では追い込んで走っているというよりはみんなとおしゃべりしながらワイワイ楽しく走っているタイプでした。
(しかもワイワイする相手に結構女の子も多いというのはけしからん)

「Y江君、速いね! 凄い!」とちやほやされている彼を見て、当時の私にはそれがとてもうらやましく感じられました。

今思うとこの「うらやましい」「負けて悔しい」という感情を抱いたことが、マラソンに精力的にとりくむ最初のきっかけでした。

不思議なのが負けると悔しいと感じることと、そうでないことがあること。
その違いは何なのでしょうか。

大学時代の私は周囲の東大生と比べると試験の成績は悪い方でした。
しかし、成績が下の方でも悔しくて頑張ろうという気持ちになることはありませんでした。
(中学・高校は勉強への執着があったのですが)

マラソンは負けると悔しいけど、勉強はそうではない。

何がこの違いを生むのかはわからないのですが、言えることは、こういう強い感情が湧いてくる分野は頑張れるということ。

また、陸上部出身のGOに対しては「自分とはそもそもの土台が違う」と思っていましたが、そうでないY江に対しては自分と同等のライバルとして見ていました。

なので、「誰に負けたのか」という要素も感情に影響してくるのですね。

私は大学時代にマラソンにのめり込めて良かったと思っています。
そして、そのきっかけとなる精神的なエネルギーを与えてくれたY江とサークルで出会えたことに感謝しています。

この記事を書きながら「こんな風に出会った人々が今の私を作っているんだよなぁ」と改めて思いました。

さて、このY江への敗北に心を動かされた私は、翌日から猛特訓を始めました。
そしてこれが初心者だった私にとってエアロビックベースの構築という重要な発達プロセスとなっていくのでした。

続く・・・

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