マラソンにはまったランナーは「無謀な挑戦」と感じる距離に挑むことがあります。
例えば
- ハーフマラソンまでしか走ったことのない人が初めてフルマラソンに挑戦しようというとき
- フルマラソンまでしか走ったことのない人が初めて100kmウルトラに挑戦しようというとき
- 100kmまでしか走ったことのない人が初めて200km超級のウルトラに挑戦しようというとき
などは精神的な壁として感じる方が多いのではないでしょうか。
今日はそんな「無謀と思えるような距離」に挑む方に向けてメンタル面でのアドバイスをご紹介したいと思います。
2018年のことです。
小江戸大江戸200Kという大会で初めて204kmという距離に挑戦されるお客様から
「無謀な挑戦かもしれないけど頑張ってきます!」
というメッセージをいただきました。
このメッセージを受けて、自分が初めて250kmの大会に挑戦したときのことを思い出しました。
当時の私のそれまでの大会での最長距離は100km。
大会の1.5ヶ月前に2日間で200km走る猛練習をして、200kmで完全に走れなくなるという経験をしました。
「本番はこれより長い距離をもっと短い制限時間で走らないといけないのに」
と不安な気持ちになりました。
「ゴールできるか分からない」
「どんな苦痛に耐えないといけないのか想像もできない」
「失敗したら周りの人はどんな反応をするだろう」
そんな不安な気持ち、スタートが近づくにつれて高まる緊張。
今思うと私の初250kmは挑戦へのワクワク感よりも少しネガティブな感情が優勢だったかもしれません。
もし当時の自分にアドバイスができるとしたら、私は次のようなことを伝えたいと思います。
より長い距離に挑むとき
どのように苦痛が推移していくか
キツイ時間帯をどのように乗り越えるか
を知っておくと、成功する可能性を大幅に高めることができる
ウルトラマラソンで経験する苦痛の推移
まずはこちらのグラフをご覧ください。
このグラフは
横軸:距離
縦軸:苦痛の大きさ
として、ウルトラで体験する苦痛の推移を表したものです。
ポイントは
- ベースとなる苦痛(黄緑色の曲線)は距離に比例しない(増加は徐々に緩やかになり、ある距離を超えるとほぼ一定となる)
- 実際の苦痛はベースの苦痛に「波」が加わった緑色の曲線のようになる
- 典型的なリタイアは「将来に感じる苦痛を過大評価してしまうこと」から生じる(赤の曲線のように推移して、ゴール前に耐えられる限界を超えてしまうと勘違いする)
ということです。
典型的な失敗=将来の苦痛を想像して諦めてしまうこと
無謀なほど長い距離に挑戦するなら「これまでより長い時間と回数、苦痛に打ち勝たないといけない」という戦いが待っています。
この戦いに負ける典型的なケースは、気持ちがネガティブになりがちな苦痛の波の山の部分で
「将来の苦痛を想像して諦めてしまうこと」
です。
「あぁ、辛くなってきたなぁ。
あとゴールまで〇〇kmもある。
この後、苦しさはもっと酷くなるに違いない。
今以上の苦痛があと〇〇時間も続くなんて無理だ。
ゴールまでいけるわけがない。
(リタイアを正当化する理由探しが始まる)」
というような思考です。
今はまだ何とか走れているけど、将来的な苦痛を推測してそれに絶望して心が折れてしまうのです。
苦痛には波があることを知り、復活を信じること
私は過去に何度もこの将来の苦痛に負けてしまったことがあります。
この自分との戦いで勝ち負けを繰り返しながら、少しだけ勝つコツが分かってきました。
それは「苦痛には波があることを知ること(上のグラフをより深く信じられるようになること)」です。
今以上の苦痛がそのままずっとゴールまで続くとは限りません。
私の経験的には「辛いな」と感じたらそれは波のきつい山のところで、時間が経つと楽になることがほとんどです。
「ウルトラには復活がある」と経験者は言います。
復活を信じて苦痛の波の山が過ぎるまではペースが落ちても良いから耐える。
適切な補給をただ淡々と継続する。
そういう人にはいずれ復活の瞬間がやってきます。
苦しい最中の自分をポジティブに説き伏せる方法
復活のことを頭で分かっていても、大会中のまさに苦しい最中にはそれが信じられなくなる時があります。
そんな時は自分に対して「いや、大丈夫だよ。なぜなら、、、、」というように、まだ進み続けることができる根拠を提示して説き伏せます。
過去の練習で走れた地点までは少なくとも大丈夫と安心させる
もし過去の練習などで、その苦痛を感じている地点より長い距離を走った経験があるなら、それを思い出し「少なくとも○○kmまでは走れたからそこまで行こう」と考えるのは1つの手です。
例えば、100kmの大会の35km地点ですでに苦しくなってしまったとき。
練習で50kmまでは走ったことがあると仮定しましょう。
35kmからの苦しい時間帯ではこんな風に考えます。
あまり先のことは考えず、まずは練習でも走れた50km地点までマイペースで進もう。
50kmまでなら確実に行けるんだから。50kmより先のことは後の自分に任せよう。
(*あまり先のことを考えすぎないのもネガティブな時には役立つ)復活するためには補給が大切。
計画した補給をきちんと守りながら進もう。
その大会中に山を1つ以上乗り越えたら、その経験を説得材料にする
では、経験したことのない50km地点より先で苦しくなったらどうすれば良いのか?
そのときは35km地点から50km地点までの間で、おそらく苦痛が少しやわらいだ(軽く復活した)経験をしていると思います。
だから、その復活経験を思い出して、また復活できると信じると効果的です。
例えばこんな風に頭の中で反芻します。
60km地点。きつくなってきたなぁ。この先、大丈夫だろうか?
そうだ、たまたま今は苦痛の山のところが来ているだけだから、心配いらない。
さっきだって、35kmでもうダメかと思ったけど、実際には42km地点くらいで元気になって、それから今まで比較的順調に走れてきたじゃないか。
今から3kmくらい手前の57kmくらいから脚に重さを感じていたけど、今もこうして進んでいるじゃないか。
ということは、今から数キロ先の地点の自分も同じように走れているに違いない。よしっ、次の次のエイドくらいまでに復活することを目標にして、今は少しペースダウンしても良いから着実に進もう。
復活するために、次のエイドでは何を摂取したら良いだろうか、、、
(*意識をゴールという遠い目標にするのではなく、復活するという近いものに移すのも効果的)
目的を問うことが失敗につながるケースも
自己啓発の本などでは、心を奮い立たせるために目的や獲得したいもの思い出すという手法がよく使われます。
ウルトラマラソンの例でいうと
「このレースを完走したら何が得られるのか?」
「なぜこのレースを走りたいと思ったのか?」
などを問い直すということです。
これは日々の練習でやる気を高めるのには良いと思いますが、苦しい最中のレース中にやると(人によっては)逆効果になってしまうこともあると思います。
少なくとも私の場合は成功したレースではこの問いかけをすることはほとんどなく、むしろ失敗レースでリタイアする直前にこういうことを考えてしまっていました。
なぜかと考えてみたところ、苦しい最中の私は、走りきるメリットなんて霞んで見えるほど、苦痛から解放されるメリットを見つけ出す天才になっているからです。
天才の声「もしこのまま無理して体を壊してしまったら将来の可能性まで潰すことにつながるじゃないか!」ダンッ(机を叩く音)
そして、走りきることを正当化する真に合理的な理由など、多くの場合では存在しないのです。
理性的に走りきらなければいけない理由が見つけられず、感情的には苦痛から早く解放されたい。
そんな思考状態になってしまっては走り続けることは困難になります。
よって、そのような状態にそもそもならないためにも、私は完走する意義、目的などはレース中には持ち出さないようにしています。
そして「なぜ走るの?」ではなく「どのようにすれば走り続けられるのか?」という問いに専念します。
もし私と同じようなタイプの方は
「走り続けるために、何をすべきか?」
「どのようにしたら、走り続けられるのか?」
これだけにフォーカスしてみてはいかがでしょうか。
まとめ
- 苦痛推移のグラフをまず頭で理解し、練習や大会の経験を通じて確信を強めていく
- 典型的な失敗を知ること=将来の苦痛を過大評価して押しつぶされないこと
- 自分はまだ走り続けられると自分を説得する材料を頭に思い浮かべること
過去の練習や大会と比較する
そのレースでの復活体験を思い出す - キツイときは先のことを考えすぎず、ペースダウンしても良いから余裕度を取り戻すことを目標にする
- 補給がおろそかになると肉体的にも精神的にも落ちるので、適切な補給を黙々と継続すること
- (人によっては)走る意義や目的へは意識を向けず、「どうしたら走り続けられるか」という問いにのみ専念する
あなたの健闘を祈っています!