神宮外苑24時間チャレンジ完走記
2016/12/17-18に神宮外苑24時間チャレンジに参加しました。詳細な結果は体調不良のため表彰式に参加できなかったので分かりませんが、247kmくらいで4位だったようです。本レースは24時間走世界選手権の選考レースですが、1次選考基準は250km以上走って4位以内だったので即内定はありませんでした。250kmがどうしても達成できなくなったとき、もしかしたら240km以上4位以内でも2次選考で選ばれるかもしれないと思ったのでそこを狙いました。代表資格については現状分かりませんので確定的に内定したとは言えません(自分の中では入れたかな? というくらいの気持ちです)。
レースまで
今回のレースに向けた練習は10月に380km、11月に350km、12月(16日まで)190kmでした。ライバルと比較すると練習不足が否めません。これは純粋に私の意志の弱さが7割ですが、それ以外の原因として9月に雨の中走ってマメができ、そこから動きが悪くなる印象があったため、「苦労して走って結局は悪い走り方を習得しただけだった」ということにならないようにしたからです。
上達するには今まで以下の投資(時間・お金など)で同じ以上のパフォーマンスを再現できなくてはいけません(いずれ時間やお金の制約で頭打ちするため)。練習量が減った分、知識の習得に投資しました、多分野の安くないセミナーで学びました。練習では針穴に糸を通すように集中して走りました。そして良い動きが無意識で再現できるよう考えました。一歩一歩の精度が高まるように努めました。
思えば今年の9月からは足へのトラブルで苦戦しました。マメによる痛みは無意識レベルで動作を悪化させます(例えば捻挫によってランニング動作でに無自覚に大殿筋の発火タイミングが低下するというデータがあったと思います)。問題が生じたのに対策を甘んじ10月のえちごくびきの100kmでも血豆がレース中に破裂して30km以上悪いランニングを学習してしまいました。今までこのシューズソックスで足へのトラブルが無かったのでこれで良いだろうとほったらかしていました。あろうことか、今回の神宮外苑でもこの軽率さが原因かは確定できませんが同様にトラブルを再発してしまいました。しかも今度は残り30kmではなく、残り12時間ありました。
レース当日
目標は250kmで4位以内。それが確定したらすぐにレースを辞めても良いくらいの気持ちでいました。想定ペースは(6hr,12hr,18hr,24hr)=(70km,135km,194km,250km)。自分は経験値がある分、順位争いになっても後出し(様子見してから)で勝負できるという思いがありました。というか、そもそも250km走ればほぼ4位以内は楽勝だろうという思いがありました。しかし実際には当日の気温が予想以上に温かいことが分かり、前半からちょっと速めに入り貯金を作っても問題ないだろうと考え、設定より速めに走りました。100km通過が8時間20分をちょっと切るくらいだったので、過去の自分でも最速です。
10時間通過ではトップ4が2013年の日本代表組。他の方々には悪いですが、やはりこのメンバーは特別な存在。少しひいきにしていました。
12時間足元のトラブルが気になりはじめます。歩道の坂が痛い。「ウルトラにトラブルはつきもの。問題が起きてからどう乗り越えるか考えるのが面白いんだよ」と先輩ランナーがおっしゃっています。まさにその通り。この言葉を思い出し、面白くなってきたなぁと心に余裕を持たせます。問題は9,10月に痛い目にあっているのにたまたまだと安直に判断し、対処を検討しなかった思考でした。ここから足がややひどいことになります。(以下写真、グロテスク注意)
足元の痛み、内臓の不調により12時間あたりから設定ペースを守れなくなってきます。このあたりから240km以上4位以内に狙いをシフトします。この4位争い、経過を追うと分かりますが、壮絶な戦いになりました。
18時間頃から、2~5位の4人が1km以内にひしめきます。ここから各選手が1kmあたり20秒近くスピードアップして仕掛け、抜かれるとそれに続くというような熱い潰しあいが何回も続きます(残り6時間で5,6回そういうことがあった気がします)。やめてくれって感じ。一見体力の無駄ですが、24時間走は相手にもう駄目だと思わせるような心理戦が有効な時があります。追わないで勝負をかけた人が潰れるのを待つという選択もありますが、相手が潰れるのを待つしか勝つ方法がなくなる他力本願の差がつくと自分の精神も消耗します。相手が潰れるという不確定なことを期待しながら闘志を燃やし続けられるものではなかなかないと思います。
しかし、思い返してみると普段の私では考えられないような強気・闘志あふれる潰しあいをしました。残り5時間以上あるなかで消耗しきって、ペースをどれだけ落としても最後まで走り続けられるか分からない状況です。「こんなペースだと向こうが潰れる」という甘い期待をして自分は楽なペースを維持したくなる心境の中、30分も続くか分からないペースまで一気に上げていきます。
ペースアップの仕掛け人はたいていNさん。4年前からずっと私がライバルだと思っている人です。2013年に世界選手権で団体銀を一緒に獲得。今度は一緒に日本を世界一に導こうと約束していた人です。(私の親友によるその時の世界選手権の模様はこちら)
私は夢を聞かれると2013年の時からずっと日本代表になってで団体戦優勝したいと言い続けてきました。そしてそこにはNさんも一緒にいなければいけないと思っていました。今回の神宮でも潰しあっているのか、助け合っているのか分からないような集団走(ペースアップ)をしました。後半気がめいっている時はゆっくり走れば楽とは必ずしもいえないものです。Nさんの仕掛けを追いかけることで私も何度も救われました。
ラスト4時間、4位争いとしては最大の転機が訪れます。2013年代表のライバルHさんが一気に元気を取り戻して(or演技?)抜き去ります。すぐ後につけないような速さ。しかも「代表は譲らないよ」というような趣旨の強気の言葉をかけていきます。さすが百戦錬磨の男。心の折り方を心得ています。私も食らいつこうと20mくらい後方で全力で追いかけます。ラスト4時間あるので私も潰れる覚悟。そしてハンドラーゾーンにHさんが先についたところ、Hさんのハンドラーさんが「(私が)すぐ後ろに来てるよ!」とHさんに活を入れます。これにはHさんも意外だった様子です。私もHさんも、もうお互いの余力が分からなくて混乱状態。この後の1周から一気にHさんが崩れます。この直前だったかHさんが「ロキソニン」とか叫んでいたので状態が悪い中での賭けだったのかもしれません。痛み止め、胃腸薬などは相手にチャンスをうかがわせるのであまり大きい声で言うものではないですね。私もバテバテ状態ですが、後続に差をつけられる兆しを見出し気持ちが前向きになっていきます。ここが勝負の分かれ目だったように思われます。
ラストの2時間は1分1秒が拷問のように長く感じられます。されたことないので想像ですけど。
日差しと涙で目がしみます。鼻の下は鼻水でただれています。内臓は不調で吐き気とインフルエンザのような熱感があります。足が接地するたびに血豆が痛み、かばう様に走ってしまったせいか内転筋・腸腰筋あたりが激痛にみまわれ、ラスト40分は歩道の傾斜は走ることができず歩きます。今にも肉離れしちゃいそうな感触。しかも、半周差でライバルNさんが迫ってくるという情報(実は間違えていて半周差をつけられているという状況だった)。Nさんには4年間勝ちがない。去年はラスト1時間の潰しあいラストスパートで壮絶に負けた。ハンドラーも勝利を強くねがっていた。ハンドラーのためにも絶対勝つ! バラバラになりそうな感覚でゴール。すぐにその場にへたりこんだ。私のゴールシーンの写真を見るといつもこれだ。
ゴール後、右の股関節を動かせず、すこし他動的に動かされるだけで激痛が走り、まともに動けなかった。運ばれて病院に向かうかと思ったが、すぐに帰って休みたいという気持ちも強く、スタッフの方々に手を借りつつなんとかタクシーで帰宅。友人は心配してくれたようだが、スタッフの方々は「これだけ走るとこういうこともあるよね~」となんともない様子。みなさん普通じゃない。スタッフの方々にはお忙しいところご迷惑をおかけして申し訳ない。そして、この素晴らしい機会を提供していただけたことに深く感謝しています。
ウルトラマラソン続けます
本大会に参加してある気持ちを思い出しました。2013年世界選手権のゴールシーン。強い感動の涙と、「ウルトラマラソンに打ち込んできて良かったんだ」という想いがありました。
著名な自己啓発本『7つの習慣』ではゴール設定の重要性を強く説いています。いわく、間違ったところに梯子をかけてしまうと、梯子を上っても間違ったところにたどり着いてしまう。つまり、人生を幸せに生きたかったら自分がどこに向かうべきなのかを考えることがとても重要ということです。では、この正しいゴールはどのように見つけ出せばよいのか?
『明日の幸せを科学する』という本で、人間がいかに自分の気持ちを想像することが難しいかということがかかれています。つまり、「こうなったら幸せだろう(例えば、フルマラソンを完走できたら幸せだろう)」という予測はなかなかあたらないのです(買い物などで失敗する人が多いのもその理由)。ゆえに、私は人生の正しいゴールを見つけるためには色々と1次体験をすること、そしてその時の自分の心の動きをよく観察することが大切なのではないかと思っています。
世界選手権で感じた感動。今回の神宮で感じた感動。そしてハンドラーと2人で「実はNさんに負けていた」ということを知ったときの涙。これをしっかりと文章にして覚えておくことが大切かと思いました。
ウルトラマラソンは代償が大きいです。時間的にも金銭的にも健康的にも。それでも今回の経験によって私が「今までやってきたからなんとなく続けている」ではなく、「やっぱり自分はウルトラマラソンに熱中している」と気づかされたようなきがします。