弘前24時間走への挑戦

最後の試合|第二回弘前24時間走選手権の結果

5/27-28に大本命のレースである弘前24時間走に出場してきました。

子供が生まれてからしばらくウルトラマラソンは走れないと思っていましたが、去年の4月から保育園に通うようになり、家庭に少しだけ時間的、精神的な余裕ができて、また挑戦したいと思いました。

1年以上、毎日寝るときは布団の中で大会を走る自分を想像し、起きてすぐに目標を手書きしたノートを見て、また大会を走る自分をイメージしていました。

多くの人の協力があって、過去最高の状態でスタートラインに立つことができたと思います。
どんな結果でも満足できる、充実した1年間を過ごすことができました。

スタートしてからは思った以上に暑く、主観的にはペースをかなり抑えながら走りました。

それでも6時間30分くらい経過で最初のキツイ時間帯が来ました。

体内のナトリウム濃度が下がり始め、かつ脱水度も3%を超えてきたと直感しました。

ずっと体に水をかけながら毎時600mlくらいの水分を2.0g/Lの食塩濃度で摂取を続けていましたが、これでも水分量として足りなくて、かつ今の自分には塩分が薄かったことがわかりました。

(これまでの24時間走では2.7~3g/Lで飲んでいて、10時間も経過すると血中のナトリウムが濃くなる傾向だったので今回は薄めで調整していました)

濃度濃いめのドリンクで意識が明瞭になり、吐き気がひいていく。
きつくても原因がわかっていれば修正できるし、怖くない。

今回は今までのどのレースよりも自分の体の中が見えているように感じました。

とはいえ、60分くらいで復活すると思っていたのが90分かかり、想像以上に暑さで消耗していたと驚きました。
8時間経過くらいで体の状態を健全に戻して、またペースが戻ります。

しかし、調子に乗っていたのもつかの間、9時間くらいで小さな段差に踏み込んでしまい、ねん挫してしまいました。

(コースは危険というレベルではありませんが、想像以上に暗くて足元の凹凸には気づきませんでした。
大会の2週間前の練習で軽くねん挫気味の動作をしていて、私の足首の状態が万全でなかったのも大きいと思います。)

ハンドラーが整骨院の先生だったのでその場で治療、テーピングしてもらいました。歩けても走れませんでした。

「最後まで頑張って歩く」「リタイアする」の選択に迫られましたが、ここまで1年以上、十分に頑張ってきたのだから応援してくれた家族や仲間にも胸を張って辞められると思ってリタイアさせてもらいました。

本大会のおかげで、希望のある日々を過ごせました。

我が家は7月には二人目の女の子が生まれる予定です。

子供二人としっかり向き合っていくためにも、24時間走の復活が何年後になるかわかりません。
だからこれが(世界選手権に出られなければ)最後の試合だと決めていました。

でも、その後妻が「弘前で走っているところを娘と応援して楽しかった」「子供が大きくなるまで待たずにまた挑戦したら」と言ってくれたので、考えを変えました。

なにせ、このままで辞めてしまっては
『レース序盤でつっこんで潰れたうえに、レース中に「あれ、うちの娘なんですよ。かわいいでしょ!」と娘自慢をしていた迷惑ランナー』
という印象のまま終わってしまう。
(初対面の人も含めて5人くらいに自慢した)

応援中の娘

ということで、また次の大会の計画を立てて楽しく健康的なランニングライフに戻りたいと思います。

大会に携わってくださった皆様、一緒に走ったみなさん、様々な形で応援してくれていたみなさん、ありがとうございました。
またこれからもよろしくお願いします。

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