無謀な距離に挑む時には

無謀な距離に挑む時には

マラソンにはまったランナーは「無謀な挑戦」と感じる挑戦を経験することがあります。
無謀さはタイム、距離と両方あると思いますが、距離に関しては
ハーフ→フル
フル→100km
100km→200km級ウルトラ
の挑戦が精神的な壁として経験する人が多いのではないでしょうか。

今日はそんな「無謀な挑戦」に挑む方に役立つと思ったことを書きます。

今週末(3/3,4)は小江戸大江戸200Kという大会が開催されます。
その大会で204kmに初挑戦される方から
「無謀な挑戦かもしれないけど頑張ってきます!」
という連絡をいただきました。

この連絡を受けて自分が初めて250kmの大会に挑戦したときのことを思い出しました。

それまでの大会での最長距離は100km。
大会の1.5ヶ月前に2日で200kmの猛練習をして、200kmで完全に走れなくなりました。

「本番はこれより長い距離をもっと短い制限時間で走らないといけないのに」
と不安な気持ちになりました。
(経験を積んだ今なら、この練習ができれば十分完走の力があると分かるのですが笑)

「ゴールできるか分からない」
「どんな苦痛に耐えないといけないのか想像もできない」
「失敗したら周りの人はどんな反応をするだろう」
そんな不安な気持ち、スタートが近づくにつれて高まる緊張。

今思うと私の初250kmは挑戦へのワクワク感よりは少しネガティブな感情が優勢だったかもしれません。
当時の自分にアドバイスができるとしたら何を伝えるべきでしょう。

距離が長くなることでどんな違いが生じるのか?
その距離に応じて色々なことが変わります。

例えばハーフ→フルだとエネルギー補給の考えが変わりますね。
ハーフでは筋グリコーゲンの枯渇が少ないですが、フルは枯渇するケースが多いので補給が大事です。

また「自分が試される時が増える」というのも大きな違いだと思います。
どういうことか?
下の図をご覧ください。

長いと試される時が増える

この図は横軸を距離、縦軸を苦痛の大きさとして関係を表したものです(私のイメージ)
ポイントは

  • 距離が長くなるほど苦痛の大きさは減るが、継続時間と回数が増える
  • ウルトラでは苦痛に波が生じる(図の下のグラフ)

です。

無謀なほど長い距離に挑戦するなら「これまでより長い時間と回数、苦痛に打ち勝たないといけない」という戦いが待っています
この戦いに負ける典型的なケースは「将来の苦痛を想像して諦めてしまうこと」です

「あぁ辛い。
あとゴールまで〇〇kmもある。
この後、苦しさはもっと酷くなるに違いない。
今以上の苦痛があと〇〇時間も続くなんて無理だ。」

というような思考です。
今はまだ何とか走れているけど、将来的な苦痛を推測してそれに絶望して心が折れてしまうのです。

私は過去に何度もこの将来の苦痛に負けてしまったことがあります。
この自分との戦いで勝ち負けを繰り返しながら、少しだけ勝つコツが分かってきました。
「苦痛には波があることを知ること」です。

今以上の苦痛がそのままずっとゴールまで続くとは限りません。
私の経験的には「辛いな」と感じたらそれは波のきつい山のところで、時間が経つと楽になることがほとんどです。

「ウルトラには復活がある」と経験者は言います。
苦痛を生んでいる原因を考えて、それに対応する(補給など)。
復活を信じて苦痛の波の山が過ぎるまではペースが落ちても良いから耐える。
そういう人にはいずれ復活の瞬間がやってきます。

復活のことを頭で分かっていても、大会中のまさに苦しい最中にはそれが信じれなくなる時があります
それに対しては苦痛の山を越える体験を重ねて、それを信じる力(確信度)を高めることが有効です
だから経験豊富なランナーは強いのだと思います。
逆に苦しいときこそ乗り越えることで強くなるチャンスと考えられます。
だから仮にゴールできなかったとしても、走れる間は1つでも多くの山と戦って乗り越えることには意義があると思います

最後に1つ無謀な挑戦をするという人に伝えたい言葉があります。
私が初めて250kmに挑戦しようとした時に陰で父が言っていたという言葉です。

「250kmに挑戦しようなんてちょっとやそっとの覚悟で言うことではない。
仮にゴールできなかったとしてもそれは全く恥ではない。」

初めての250kmは30:39で完走できました。
ゴールした時はスタートとは全く違った人間になっており、新しい世界が開けていました。

健闘を祈る!

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